「メソード演技」と「マリヴォーの上演」

咲良舎のホームページに「マリヴォーの部屋」がオープンし、その冒頭でマリヴォー・シリーズの経緯などを書いたので、話は一部重複するかも知れません。

 

渋谷の山手教会の地下にジァンジァンという小さな劇場があって、二方向に分かれた客席から舞台が観られる特異な空間でした。80席くらいしかないところに多いときで150人くらいのお客さんが詰め込まれ、会場の熱気は独特なものがありました。

通路には身動きできないくらい観客が立ち並び、舞台は30センチくらいの高さでしたから、最前列の座布団席からは手を伸ばすと役者に触れられるような間近な距離で演じられていたのです。美輪明宏さんの歌や高橋竹山さんの津軽三味線などを生で楽しむことができるライブハウスでもあり、文化発信の地だったのです。

 

92年にはじまった18世紀フランス喜劇作家マリヴォーの連続上演はこの渋谷ジァンジァンで上演されていました。

 

舞台にはシンプルなセットが一つか二つあるだけ。マリヴォーの登場人物を演じる役者たちは隠れる場所もなく、観客から何もかも観られているといった裸の状態で演じていました。マリヴォダージュなるややこしい言い回しの膨大なセリフ、人には知られたくない本心やプライドとの葛藤を観客にさらけ出す内面からの演技、身体表現など、若い役者たちには幾重にも試練が与えられました。

 

あるとき、知り合いのベテラン俳優が観にきて、自分はこんな怖い舞台は絶対にやりたくないと断言していましたが、恐いもの知らずの若い俳優たちだったからこそやれた事だったのかも知れません。

 

ジァンジァンでのシリーズは第10弾まで続き、10弾目は短編二本の抱き合わせだったので計11作品、その後の「さよなら公演」は第1弾でやった「遺贈」を「めんどうな遺産相続」と題名を変えての再演でした。

 

2ヶ月から3ヶ月に一本のペース、上演時間は1時間45分以内、入場料は1,500円、売上はすべて劇場と折半──など、劇場側から与えられた過酷な条件のもとでよく続けられたと思うけれど、無名な私たちは必死でこれに耐えながら、回を追うごとに観客数を増やしていきました。そして憧れのジァンジァン名物、開演前の「お客さんの長い列」ができるまでになっていったのです。

 

フランスの古典で、本国では80年代に大きなブームが起こっていたとはいえ、日本ではほとんど知られていない作家です。

1960年に名優ジャン・ルイ・バローがマリヴォーの代表作「偽りの打ち明け話」を携えて来日しましたが、あまりに洗練された舞台に観客が圧倒され、その時の印象やマリヴォダージュの面倒な問題もあって、日本では上演不可と言われていたと言います。古くからの演劇人や学識ある方々には、経験の浅い若い連中のはじめたマリヴォーの連続上演はただただ無謀なことに思われたかも知れません。

 

公演毎に劇場のスタッフと新聞社まわりをしましたが、「事件を起こす」というスタッフの言葉が今でも記憶に残っています。当時ひたすら公演に追われ、次々に起こる事態に対処するのが精一杯だった私には、「事件を起こす」などの自覚も余裕もありませんでした。

 

さて、では演出はなぜマリヴォーだったのか・・・。

多くの人たちを巻き込んだ責任もあり、また2015年にシリーズ最後の公演を終えて区切りができたこともあり、またマリヴォー劇関連の資料の整理を進めていることもあって、ここであらためて振り返ってみようと思います。まあ、書きながら自分自身の整理をしているようなものですね。

きっかけは「贋の侍女」という作品でした。古典とは思えない現代的な作品で、私には何もかもが斬新で衝撃的だったのです。何てシュールな戯曲なんだろう!と感嘆しました。シュールを言い換えると、超現実的・不条理・奇抜・現実離れ・非日常的などでしょうか──まさしくそんな感じでした。

 

金持ちのお嬢さまが男装してたった一人で婚約者の正体を暴いていく「変装劇」。

マリヴォダージュの訳が分からなくなりそうな持って回った言い回し。互いに騙し合いながら、観客にだけ見せる人物たちの本心、滑稽さ。「愛と金銭」の相克のすさまじさ。現代劇にはなかなか見られない人物のスケールの大きさ──etc.etc.

 

マリヴォーは俳優たちに誇張のない自然な演技を求めていました。俳優たちの演技が作品の〈いのち〉なのです。そして何とマリヴォーはフランス人俳優にではなく、身体表現にすぐれたコンメディア・デ・ラルテのイタリア人劇団の俳優たちに書き下ろしていたのです。

 

こうしてマリヴォーのいろいろな事を知るにつけ、私は〈内面からの演技〉にこだわる「メソード演技」を基盤に、このシュールな古典劇に取り組む決心をしました。現代作品として舞台に生かしてみたいと。大変な冒険を覚悟しなければなりませんでしたが、それはまた、不安と期待が入り混じった心ときめく思いだったのです。

 

「贋の侍女」は銀座みゆき館で本邦初演、その後、ジァンジァンで再演。青山円形劇場で再々演を果たせなかったのが心残りです。

そして2009年、マリヴォーのもう一つの作品「愛の勝利」と共に岩波文庫より出版されました。

【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

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