演劇的に生きる「個性」

ストラスバーグは日本に招かれて一度来日しています。私がレッスンを取り始めたとき、日本の印象を彼はこう語ってくれました。「腰が低くてみんなお辞儀ばかりしている。人々は演劇的じゃない」と。つまり、形式的で、自分を隠して自己表現に乏しい──ということでしょうか。これからレッスンをはじめようといていた私へのはなむけの言葉?だったのかも知れません。

 

いよいよレッスンがはじまって、日本からやってきてまもない若い娘は、自分のなかにしっかりと組み込まれている極めて日本人的で内向的な習性に、否応なしに気づかされることになりました。学生時代は遊び仲間も多く、物怖じせず活発に行動していましたので、自他共に自分は外向きな人間だと認識していました。ところがレッスンを進めていくうちに日常の外向きな自分とは別の、人に気づかれないところにいるもう一人の自分に触れざるを得なくなっていったのです。自分の本当の個性は心の奥のほうに、人に気づかれないように密かに息づいていました。

 

こうして「メソード演技」に出会って初めて、内向した本当の自分を引っ張り出し、そして舞台上で真に「演劇的に生きる」ということを知りました。

 

それは簡単なことではなく、自分との葛藤がときに本当に苦しく、会得するには長い時間を要するものでした。日本でよく言われる、単に余計なことをしないあるがままの「自然な演技」とは違うものなのです。

日常の規制にしばられた自分を自由にしてやり、真に「演劇的に生きる」瞬間が身体で感じ取れるようになり、舞台上に「いる」ことができるようになったとき、ストラスバーグに「それだ。よかった。」と言ってもらえたときには「演劇の神さま」に心から感謝しました。無宗教な私はあるとき〈演劇の神さま〉を自分で思いつき、以来、演技のときには〈演劇の神さま〉に見守ってもらっていましたから。

 

さて、もう随分前のことですが、「自分と向き合うのが嫌なので」と明言してレッスンをやめていった人がいました。理由ははっきりしていました。自分の抱えているいろいろな面に触れたくなかったし、自分が嫌いな自分を俳優として受け入れられなかったのです。でもそこにこそ、その人のかけがいのない個性があるのです。

その個性を舞台上に解放してやり演劇的に生かせたら、彼の演技はどんなに素晴らしいものになっただろうと思います。残念ながらよくある話です。

 

数々の賞を受賞し、ロシアの国内外の演劇界に大きな影響を与え続ける演出家レフ・ドージンが日本でのインタヴューでこう語っています。

「今の時代、世の中、人間の個性に対する興味が危機的に衰えている。人間に対する理解の度合いが落ちている。私たちは、腰を据えて話したり考えたりすることを忘れてしまいました。演劇が求めるのはまさに人間性を回復するような新しいものにほかありません。」

 

「メソード演技」にこだわる私の思いは、まさしくこの演劇を通しての〈人間性の回復〉にほかありません。

 

3月に久々に「メソード演技〜入門」ワークショップをやります。

「入門」としたのは、演技経験のない人たちが対象という意味ではありません。

 

ニューヨーク滞在10年、かつてアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグに「メソード演技」を学びながら、ひたすら『演技の本質』を追求してきましたが、これまでの経験を踏まえ、さらにプロフェッショナルな演技に向けて指導を深めたく、あらためて今回まずは「入門」としました。

 

メークやファッションに個性的な工夫をこらし、自分を演出し、演じることを楽しむ人たちが珍しくなくなりました。しかし、「内面からの演技」にこだわる俳優には日常の厚化粧もきらびやかなファッションも不要です。「メソード演技」は日常のなかの見せかけを取り払い、その人の本当の個性を生かしたいのです。

 

皆さまの参加をお待ちしております。

 

カテゴリー: 櫻塾通信

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