自分と向き合う

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ニューヨークのITI(International Theatre Institute)を通してアクターズ・スタジオのセッションを見学させてもらう時、紹介して下さった方から「必ず俳優だと言うように。演出や制作だと見学させてもらえないかも知れないから」と言われました。

数多くの有名俳優を輩出しながらも、「メソード演技」は国内外の演劇関係者から、またマスコミからもずいぶん叩かれた時期があり、外部からのスタジオの見学は簡単ではなく、この時も一度だけということで見学の許可をもらったのです。

 

「メソード演技」にイギリスの演劇人も昔は批判的でした。

イギリスはシェイクスピアの国、伝統的にすばらしい演劇の国です。

アメリカは新しい国、アクターズ・スタジオはアメリカ演劇の伝統をつくろうとしているのだとスタジオの誰かが言っていました。伝統あるイギリスの演劇にコンプレックスがあるのだとも。

 

ちょっと話がそれますが、そういう背景からも私にはアル・パチーノがシェイクスピア作品にチャレンジしていく映画「リチャードを探して」は面白かった。

「リチャード三世」をそのまま映画にするのではなく、アル・パチーノが率いるスタジオのメンバーたちと、なぜ自分たちがシェイクスピアにチャレンジするのか、いろいろな角度からドキュメンタリーとして迫っていく方法をとったこと、なかでも俳優たちのディスカッション、そして演技に向けての過程など彼らしい初監督作品になっていたと思います。

さて時が流れ、イギリスの王立演劇学校RADA出身の俳優がスタジオにきたり、スタジオのメンバーがRADAに行ったりといった話が聞かれるようになり、あるときスタジオにやってきたイギリスの俳優が「メソード演技」に実際に触れて「人生でこんなに自分と向き合ったことはない」と言ったと、話題になったことがありました。

「メソード演技」を学んだ多くの俳優たちが同じようにそう言うのですが、あのとき話題になったのはイギリスの俳優だったからなのかなと、後になってそう思いました。

 

虚構の世界に生きる俳優にとって、「真実への探求」は理念的なものではなく、演じている自分が自分のやっていることを本当に信じられるか、セリフが本当に自分のなかから語られているかなど、演技上で実際に「自分にとっての本当」を探究していくことに他なりません。

 

俳優が誠実に自分の演技に取り組んでいくと「自分と向き合う」ことになります。

 

「メソード演技」のレッスン中に〈sense of truth〉という言葉がよく聞かれました。

俳優自身の〈真実に対する感覚〉が大事なのだと。

与えられた状況を受けとめ、本当にその状況のただ中で語り、行動するとき、俳優にこの〈真実への感覚〉があってこそ観客は舞台上の出来事に巻き込まれ、そこで起きていることに共感できるのです。

 

レッスンでは、なぜ自分はこうするのだろう、なぜこう言うのだろう、これは本当かな? という〈自分への問いかけ〉が基本にあって、自ら「自分にとっての本当」に近づいていくことを学びます。

 

それは時には自分のごまかしに直面することにもなり、誠実にやっていくと否応なく「自分と向き合う」ことになります。そして役の人物としてそこでの行動や感情を受けとめていくうちに、自分が気づいていなかった思いがけない自分に気づくこともあります。

自分自身で気づき、発見してこそ、セリフも行動も説得力を持ち、心の奥深いところからの演技につながっていくのです。頭で「これはこう」と考えてする左脳思考的な演技とは本質的に違ってきます。

 

俳優が自分の仕事にどう取り組んでいくか──これは俳優としての姿勢の問題なのですが、俳優に限らずどんな仕事でも〈本物〉を目指す人たちに共通したことだと思います。誠実に取り組んでいけば、一度ならず自分と向き合わざるを得ない時があるし、向き合って、乗り越えていく勇気が必要となりますよね。

 

自分への問いかけがあって、はじめて「自分と向き合う」ことになります。

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