咲良舎/櫻塾が「演技の基礎」を徹底的に追求している以上、どうしてもこの話からスタートするしかないかと思うのです。
絵や彫刻ならデッサン量が物をいうし、声楽なら発声に、楽器演奏なら指の練習に毎日念入りな時間をかけるし、バレエなら床やバーレッスンなど欠かせないルーティーンがあって、表現者が基礎にどれだけ時間をかけるか、それが成果につながる大事なこと欠かせないものという認識は、専門家でなくても一般の方にもよく知られていることですよね。
でも「演技」に関しては、日本にそういう認識は一般に育っていなくて、演技の基礎そのものがあってないようなものだし、軽視する傾向は昔とちっとも変わっていないわけです。だけど世界に「演技の基礎」はあるんですね。他の芸術のように、世界に共通したシステムとしての基礎が。
ニューヨークで「メソード演技」に出会ったとき、その具体的な方法論に驚きました。日本では本を読んで分かるしかなかった演技の勉強が、実践で、体験的に指導されていて、生徒たちは自分のやっていることの何がだめで、何が必要か、どうしたらいいかなど具体的な指導を受けられる。
俳優の身体を「楽器」として捉えますが、「メソード演技」の基礎はこの「楽器」づくりにありました。基盤にあるのはスタニスラフスキー・システムです。
「楽器」づくりには、まずは理屈脳を押さえ込むことが最優先、最重要です。
〈感覚〉が全身に働いている状態で、なおかつ自分のやっていることが一貫して分かっていること、与えられた状況のなかで〈考える力〉をつけることが重要になります。
「楽器」の訓練は、まずは身体のリラックスと感覚への集中。そこに身体の動きや内面からの声、歌やセリフにつなげる訓練が加わり、最終的に自分の「楽器」をコントロールすることを学びます。
このエクササイズが「感情の解放」として受けとめられ、日本では解放が目的であるかのようになって広まってしまい、「メソード演技」が本来目指している演技指導が理解されていないことは非常に残念なことです。
演技する俳優にとって、頭が余計なことに働いていない状態、身心がリラックスされていて自由になる状態、そこに起こっている出来事(事件)のまっただ中にいる感覚が必要なのです。「メソード演技」の基礎はそのためのものです。そして櫻塾ではこの基礎を追求しています。
そして正しい目を持った第三者に観てもらうこと。自分が帰る場所がある役者は現場でも手を抜けません。
がいちさん
コメントありがとうございます。そうですね、いつでも戻ってきてください。