桜咲く春!「櫻塾通信」再始動!

昨年、病気してしばらくブログをお休みしていました。暮れにはレッスンもお休みさせてもらっていましたが、梅が咲き、桜が咲き、春の嵐が3度もやってきて・・・あらためて心新たにスタートする「櫻塾通信」です。

 

昨年出会った若手演出家が「俳優をどう育てるか」という話し合いのなかでさらりと言っていました。「主体性を育てる土壌がない日本では、「主体性がない!」と声高に叫んでも浮いてしまうだけ。反発を招くだけになる。」

確かに! 若手から発せられる理路整然とした意見は快く、その先の「じゃ、どうするのか?」という肝心な話を聞きたかったけれど、残念ながら時間切れに。

以来、仕事を休んでたっぷり時間のある私の頭のなかで、度々この問いが浮かんでは消えしていました。じゃ、どうするのか?

 

「土壌の問題」となると俳優教育にとどまる話じゃなく、日本人の主体性の問題はそう簡単に結論がでるものじゃない。昔、養老孟司さんが朝日新聞の対談で語っていた教育勅語に関する話を思い出します。教育勅語を徹底することで国民は主体性を持たなくてよいという刷り込みができてしまったと。

 

さて、帰国以来、いつまでたっても変わらない「日本の土壌」という「壁」の前に立って私自身、長いこと悶々としたまま、とてもさらりというわけにいかずにいましたが、おやすみしているうちにようやく気持ちがさらりとしてきたようで・・・病気も悪いことばかりじゃありません。

 

つまり、さらりと言えるようになるには頭で分かっているだけでは充分ではなく、まずはこの事実を認め、受け入れるところからしか始まらないのだと。

いつも自分が指導のときに言っていることですが、改めてそれを自分に言おうと思います! 何かが具体的に解決したわけじゃないけれど、考えがここに至ってすっきり!シンプルマインドで心新たにスタートできそうです。

 

先日、98年99年という時代の変わり目に雑誌で連載された塩野七生・五木寛之お二人の「おとな二人の午後〜異邦人対談」を読みました。おしゃれから始まって、歴史、おとなの色気など話題が実に豊富でまた深く、そのなかで日本人のアイデンティティー・クライシスが取り上げられていました。

20年ほど前に出版された本ですが、今読んでもとても面白く、一部抜き取って五木さんの話を要約して紹介すると・・

 

———資本主義のシステムがヨーロッパから入ってきたけれど、バックボーンは国家神道、絶対天皇制でやろうという明治以後の和魂洋才。それが敗戦でだめになって戦後50年、和魂が入れられなくなって、魂なしの無魂洋才になったのではないか・・・。それもバブルでご破算になってモラルハザードがおこる。そして現在、資本主義の根本にかえってもう一度きちんと洋魂洋才でいけと言われている。

 

ところが日本人のマインドというのはなかなかそう簡単に洋魂といかない。

日本人の根っこのところの感受性とか魂は、この狭い列島のなかで何千年も生きてきて、そう簡単に変えられない———

 

この五木さんの話に塩野さんは、「和魂のなかにヨーロッパの洋魂と通じるものがあることをきちんと言えば、それはもう和魂ではなくなる。」

それに対して五木さん。「日本の場合は右手で前近代を克服し、左手で近代を克服するという二つをやらなければならない。」などなど・・・。

 

自由民権運動を背景にオッペケペから壮士芝居へと大活躍した川上音二郎と日本の女優第一号になったその妻貞奴がアメリカに渡って、ニューヨークで日本人として初めて俳優教育にふれて驚嘆したのが1900年。

帰国して何とか日本に俳優のための学校や新しい劇場をつくろうとするけれど、200年も300年も続いた歌舞伎の伝統があまりにも堅牢で改革などとんでもない時代、ことごとく潰されてしまうのです。それでも音二郎は演劇の改良に尽くし、民衆の大動員に成功していたのですが、その歴史的事実は顧みられもせず、業績も抹殺されてきました。音二郎が亡くなって、まだほんの100年ちょっとです。

 

21世紀に入って20年近く、じゃあ、どうするのか? の問いかけはこれからもなくならないでしょうし、「メソード演技」に要求される自主性や積極性、自分と向き合うことなど日本人に苦手な課題は、これからも受けとめていかなくてはならない私たちの大きな課題であって、ますます重要になっていくでしょう。

 

心新たにスタートする「桜塾通信」、気持ちを長く、さらりと微笑みながらやっていかれたらと思います。

 

 

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