新時代へ〜2018年を振り返って〜

昭和天皇が崩御された日のことをよく覚えています。若いカップルがうちに遊びにきていて終電を逃し、朝方までいろいろおしゃべりしていました。二人が帰ったあと、テレビのスイッチを入れると天皇崩御のニュースが流れていたのです。

あれから30年・・・平成から新しい年号に変わろうとしています。今年は古きにケジメをつけ新しい年へとつながっていく、私にとって大事な1年となりました。

 

3月に心新たに再出発したはずの「櫻塾通信」は、新しい年に変わろうという時になって、こうしてようやく始動開始です。言葉で語るだけでなく、実際どう行動していくか・・・これがいつも私の課題なのですが、「心新たな再出発」がこれまでとは違う咲良舎のスタジオ公演という具体的な目標となり、新たな戦いの始まりとなりました。

 

7月には札幌のレッドベリースタジオでフリートークが催され、「メソード演技」について話し、参加者の皆さんともいろいろな問題を話し合う機会が得られました。

司会の飯塚優子さんの後押しで「なぜ俳優は戯曲を頭で解釈してはいけないのか?」に話の焦点が絞られ、終了後も残ってくださった方々と熱い話し合いが続きました。

 

 

 

そして、12月にはさらに「即興性を考える」という絹川友梨さんの企画へ参加の機会をいただき、貴重な体験をさせてもらいました。

 

12月公演の少し前に絹川さん主催の【演劇の即興性を考える「実践発表と対話の会」】にご招待いただきました。私は2日目に登壇してメソードにおける即興について話すことになっていたのですが、ワーク・インプロ・グレスが台本なしでどんなふうに組み立てられていく即興劇なのか何も知らないでいたので、初日に即興劇をみさせてもらい、思いがけない手法に意表を突かれ、いろいろなことが頭を廻り巡りました。

大変失礼ながらもっとシンプルなものと思っていたのです。ところが綿密に研究されたシステムが土台になっているようでした。

 

2日目にもう一度観て、ようやくその目指しているものが何か少し分かってきました。

そして結論から言って、日本の演劇事情を思うと、絹川さんのワーク・インプロ・グレスはプロアマを問わず、セリフ中心の日本の演劇界にはもっともっと積極的に興味を持たれるべきじゃないかと思ったのです。自分が知らなかったので今さらそう思うのかも知れません。

 

さらに言えば、演劇は一回性の芸術であることを私たちはもっと認識するべきだし、即興を通して「自由」と「縛り」の狭間で遊ぶことの楽しさと素晴らしさを体験することで演劇の面白さに出会う機会ともなり得る。それは台本があろうとなかろうと同じなのですね。

 

さて、台本を中心にすえてimprovisationで役づくりを掘り下げていく「メソード演技」の場合、即興はきわめて重要な手法で、俳優個人を尊重したマンツーマン指導に則った指導法によります。この辺りはワーク・インプロ・グレスとは違うところなのかと思います。

「メソード演技」では俳優が作家によって書かれた「戯曲」にいかに貢献できるかが俳優の主な仕事とされています。札幌で話し合われた「なぜ俳優は戯曲を頭で解釈してはいけないのか?」は、俳優が何にどう集中しなければならないのかという演技の根本的な問題で、それはimprovisationによって成されていきます。

 

俳優自身の自分勝手な演技に陥る危険性を戒める意味合いもあってか、アクターズ・スタジオではdedication(貢献)という言葉が繰り返し使われていました。

そしてセッションでは作品に貢献するためにも俳優が抱えている演技の問題を明らかにしながら指導されていました。つまり明らかにするとは自分自身をさらけ出すことでもあって、舞台上で俳優のやっていることにはとても敬意が払われていました。

 

こういった環境が日本に育ちにくいのは、個人への尊重という基本の欠如であり、それは明治のはじめ以来の私たちの問題であり、スポーツで言えば個人戦より団体戦に力を発揮する日本人の特性なのかも知れません。

それでも個人で目覚ましい活躍をする選手たちが次々と出てくるような時代になってきて、指導法が見直され、どんどん研究が進んでいます。選手たちへの暴力的な育て方が明るみにされ、見直され、大きく変わろうとしています。

 

80年代に帰国して以来、幾度となく日本の演劇環境は何て体育会系なのだろうと思ったものです。実にパワハラ的な指導が横行していてショックを受けたり、相互の信頼関係のなさに悲しくなったりしたことを思い出します。

 

でも、日本の演劇界にも新しい時代がはじまっているように思うのです。

 

10月に日本大学芸術学部の3年生たちによるチェーホフの「桜の園」を観ました。

スタニスラフスキーらによって変えられ、私たちがこれまで馴染んできた「桜の園」ではなくて、チェーホフが最初に書いたバージョンでの、恐らく日本で初めて上演された「桜の園」です。内田健介さんの翻訳、田中圭介さんの演出による学生たちの上演は素晴らしいものでした。まさしくチェーホフの哀しく愚かで滑稽な、そして愛しい人間たちの喜劇でした。

 

咲良舎のスタジオ公演で上演したチェーホフの「タバコの害について」を観て、「チェーホフ劇の面白さを初めて実感した」と感想を送ってくれた若い人がいました。

新しい時代に少しでも貢献できたらどんなにか嬉しいことでしょう!

 

「メソード演技」の内面からの演技をこれから日本でどう育てていくか・・・日本人の内面に触れる演技の問題は相変わらず複雑で簡単ではないけれど、スタジオ公演を通して実験的に作品づくりに取り組んでいきたいと思います。

 

新しい視点、新しい感性、そして相手への信頼を大切に!

新年もたくさんの新しい出会いに恵まれますように!

 

 

 

カテゴリー: 櫻塾通信